鏡の中の神の肖像

「KO-SHA」を入って、右側に大きな円い鏡がある。多くの方がこの鏡を不思議に感じ、またこの鏡があることで、この和の空間がよりいっそう趣きのあるものに感じられるのも確かである。
「この鏡はいったいなんなのでしょう?」来館される多くの方から問われる質問です。
館内にも説明するパネルをご用意していますが、ここでも簡単にご説明いたしましょう。


長崎県、普賢岳の麓に位置する小浜温泉は、日本一その水温が高くしかも豊かな温泉であるこどて知られている。海と山に挟まれた町のあちこちから、湯けむりが昇り立つ。
この小浜町に、ある日ひとつのインスタレーションが制作された。まだ残暑が厳しかった2001年9月8日のことである。
作者は、イタリア人インダストリアル・デザイナー、エンツォ・マーリ(Enzo Mari)。長崎県で磁器のワークショップを開くため来日し、その折、長年に渡って温めていたこの計画を、小浜出身のデザイナー、城谷耕生氏と町の有志の協力を得て実現する運びとなったのである。
インスタレーションを構成する要素は、鏡、木、岩、動物の四つである。そして、それらを置く場所が重要であった。
マーリ氏は「機上で一睡もできなかった」と疲労の色を見せながらも、ミラノから長崎に到着したその日、温泉で疲れを取ると早々場所を探しに出かけた。小浜神社の旧跡や、この地方特有の美しい棚田を一望する場所、湧き水に小さな祠が建てられた山領という地。山奥から海辺まで、猛暑の中を歩き回った。しかし岩が理想的でも傍らに木がない。またその逆もしかりで、なかなか理想的な場所というのは見つからない。
最終的にマーリ氏の要求を満たしたのは海辺の公園だ。そこには、樹齢百年を越える一本の楠、そして90年の普賢岳の噴火によってはき出されたという15トンは優にありそうな火山岩(島原から移動されたもの)が丁度いい具合に寄り添っていたのである。
特注した直径2メートルの一枚の円い鏡をそれらを映し出すように設置し、最後に牛舎から運ばれてきた生後一ヶ月の雄の子牛を鏡に向き合わせて、インスタレーションは完成した。
鏡は、木と岩、子牛、天と地、そして時に人を映し出す。鏡の向こう側の緑深い山々の遠景と鏡に映された風景とが混ざり合うと、円い輪郭線は曖昧になって消え、そしてまた現れた。マーリ氏はこれを“神の肖像”と呼ぶ。
それにしてもなぜ、工業デザインナーがこうしたインスタレーションを試みたいと思ったのだろうか?
マーリ氏はかつて来日した際、とある神社に案内されてその神の表現にいたく感銘を受けたという。
自然の中にとけ込むように佇む神社には偶像もなく、御神体として銅の鏡が置かれている。昔はその鏡に大木や岩や動物が映っていた(これは彼が聞いた説明である。御神体の鏡に風景が映りこんだか否かの審議をすることは、ここでは意味がないだろう)。
「私が語りたかった神とは、特定の宗教的存在ではなく、芸術に宿る神性なのです。世界には偶像崇拝が禁止されている宗教があれば逆に、神の姿を追求してきた宗教もある。そんな中で神社の鏡は、彫刻や絵画などではない方法で、万物に宿る神を象徴的なかたちにした実に見事な表現であると感じました。神道については多くを知りませんが、今までに見た神の表現の中で、最も感動的でした」
日本人にとって神社は、天皇制問題や靖国公式参拝の問題を考えさせる存在でもあり、もはや政治的な立場抜きに語ることは難しい。しかしここでは、純粋に神社のかたちを見つめたマーリ氏の考えに、誰もが好奇心を覚えたのである。
「偉大な芸術作品は、それを生み出した社会や宗教を超越し、普遍的な価値をたたえている。これが神性だ。そこに凡庸さは微塵もない・・・・・・」マーリ氏は続ける。
「しかし、現代の社会は芸術ではなく陳腐なもの、不条理なものばかりを生産していないだろうか。この問題を考えると私は絶望感に襲われる。現代において自分は何をするべきなのか? 私の仕事(ものに形を与える仕事)とは何に由来する行為なのか? 常にこう問い続けている」
彼は、芸術と呼ばれる表現の神性を、あらゆる人間の創造行為に通じるものとして語っている。それはマーリが多くのデザインを、挑発的にポルノグラフィーと呼び、メルチェ=商品と呼ぶ時と同様の、世界に溢れる陳腐で不条理なものへの問題定義だ。
ものに神が、詩が宿らなくなってしまったことこそが問題である、と鏡は見る人に啓発している。
最後にマーリ氏は鏡についてもう一つ付け加えた。
「鏡は現代社会のもう一つの重大な問題も映しています。空気、水、動物、植物・・・・・・。近代の人間は、所有者さえいなければ、この世に存在するものは何でも利用すればいいと考えてきた。それが間違いであると考えるモラルを持つ人間はまだ少ない。あらゆる宗教はモラルを説いてきたが、天国という報酬をちらつかせなくても人間はそれを理解すべきだ。神は総てに宿っているのだから」
インスタレーションの鏡自体は神ではない。神とは森羅万象を映す鏡のような存在である。そしてその鏡を覗くことは、そこに自分を見出すことになる。
「鏡はあなたの問題であり、私自身の問題なのです」
マーリ氏はインスタレーションの制作に参加した人々全員を招いて鏡に映し、そのおぼろな円を見つめていた。

このインスタレーションは、宅島建設株式会社株式会社アウラ、小浜食糧株式会社、有限会社シロタニ木工の協力を得て実現しました。

ENZO MARI
1932年イタリア・ノヴァーラ生まれ。'52年ミラノのブレラ美術アカデミー卒業後、視覚芸術のアーティスト、インダストリアルデザイナーとして活動を開始。イタリア金のコンパス賞やロンドンICSID、ロサンジェルスIBD、ニューヨークIDC等、受賞多数。多くの作品が、ニューヨーク、ストックホルム、アムステルダムなど、世界中の美術館のパーマネントコレクションに選ばれている。